ユウキ

 念願の「ユウキ」ゲットしました(宮脇書店総本店で確保!(あそこの規模は素晴らしかったw))www
 早速ですが、ヨタヤヴァス。rzw

邂逅

 この作品を知ったのは、勿論去年の24時間テレビ。かつんが総合司会でその中の特別ドラマとして、亀主演でしていたドラマの原作ですね。
 だから買いました、と言うのが正直なところだが、しかしそのあまりに感動的なドラマ内容から、普通に手元に置いておきたくなった作品である。まあ亀が演じていたのが印象的だったのが決め手なんですけどね。

ドラマ版「ユウキ」

 コレに関しては、是非もう一度見たい作品。当時は総合司会がかつんと言うこともあって頑張って見ていたんだが、どうも何故かこのドラマ版ユウキはほぼ軽視し、ろくに本気に見てなかった。故にチラ見した箇所しか覚えてなく、勿論断片的。しかし何か後半になるほど面白くなってきて、「!ビデオ撮っとけば良かった。rz」と後悔したのを覚えている。特にカウたん風ユウキ亀はあまりに印象的。
 内容的には、亀演じる主人公の雄基が重病であると分かり、友人がたくさん見舞いに来ていた、くらいしか当時、分からなかった。何せろくに真剣に見てませんでしたので。rz
 しかしその後情報収集させていただき、どうも原作があり、しかも、もんの凄く超感動優良作品であったことを知った
。的確なセリフの抜粋や、名シーンの回顧などのお陰で、これは原作を読むべきだと結論に至った。

「ユウキ」〜導入

 さて。正式名称「ユウキ 世界で8番目のたたかいに勝った男の物語」。実はこれ、小学生高学年向けの小説である。児童書である。故に大変読みやすい。文字はでかく、頁も170ページであり、言葉も平昜である。すぐ読める。実際、電車の中で3時間くらいで読めてしまった。コレには、そもそも興味があったのと同時に、内容が徐々に面白くなっていったせいで集中でき、加速度的に読書速度は上がったからだ。しかしながら、そんなすぐ読めるものだからこそ、それだけ彼女の伝えたい全てが、易しく、ダイレクトに表現されているわけで。某自身、長編やページ数、話数の多い作品は集中力がもたず、また簡潔ではないので好きではないので、コレに関しては、全てに関してクリアしていたということは、大変でかい。
 前述どおり、これを買った当日、電車の中で迂闊にも読んでしまった。rzはい。泣きます。泣けます。泣けないわけがない。rz電車じゃなかったら、確実に号泣(周りの皆様、ニヤついたり涙ぐんだり気持ち悪くてスイマセンでした。rz
 まあそんなことはどうでもいい。はい。初めてこの作品の全容を知りました。一発で傑作認定です。
 ではその全容の概要を、ほぼまんま抜粋だが、言及しておく。

「ユウキ」〜内容

二〇〇一年十二月三日午前十時十二分、三田雄基は逝った。
十二月一三日の二四歳の誕生日まで、あと十日。
十二月一六日に仲間たちと計画していたパーティーまで、あと二週間。
(中略)
雄基は、まるで眠っているようだった。

プロローグ&オーストラリア

 大変元気などこにでもいるような少年雄基は、高卒後の進路を決めかねていた。これは某が勝手に想像したことだが、どうも彼は比較的裕福な家庭に生まれたような印象がある。さて。一応彼としては漠然とは、体育系で進出したかったようだ。陸上かサーフィン。そんな彼が先生から進められたのが、ワーキングホリデー。これは、国外の文化を相互理解することを目的として、国が最低限の支援をしている海外留学制度のようなものらしい。期間は最長1年。しかしその内容は、本人次第。この1年をどう使おうかは、彼等自身が全て決めるのだ。

「CITY&SURF」

 彼がこれを利用してさっそくオーストラリアへ向かった。このあたりからも彼のその猛烈な積極性は感じ取れる。そしてそこで彼は色々放浪し、各所で友人を作り、特にある安宿では濃密な関係の仲を作り、その仲と一緒に、終生率先的にその安宿を愛し続けた。このあたりから彼のその猛烈な社交性を感じる取ることができる。しかしそんな中、彼が自身の頭部に関して違和感を感じ始めた。特に印象的なのは、

五月六日 ケアンズにて @ユウキの日記より
 顔がヤバい。

これしか書いてない日記の抜粋掲載である。そしてそれが全ての始まりだった・・・

帰国後の異変

 彼が留学期間を終え、例の安宿で知り合った日本人の友人宅経由で自宅に戻った時である。彼の顔の変形もによるものか、歯がぐらついていた。故に友人…三人称は彼女なんだが、彼女の紹介で歯科医を紹介してもらい、早速診断してもらったのである。しかしその結果は意外なものだった。更なる大規模な病院への診断を要求され、更に早速大学病院へ向かい、そしてこの症状が相当深刻であることが、判明する。それは医師から告げられたこの台詞からわかる。

「それでは一日も早く家に帰り、病気とたたかいはじめてください」
(中略)
そればかりか雄基には、一円も請求しなかった。

 それから彼は帰宅し、久々の家族と再会したのである。しかし家族は、彼の顔面に違和感を感じていた。そう、症状は確実に彼を蝕んでいたのである。具体的には、右顎から額にかけて骨が溶失、故に右歯、歯茎は陥没し、事実上左顎だけで食事を行い、更に鼻の骨も融解しかけ、鼻が低くなっていた。それが顔面変形に繋がっていたのだ。
 帰宅後早速家族にそのことを告げ、大学病院に行き診断してもらい、漸く正式に病名が分かった。それは”大量骨溶解”。悪性の腫瘍が骨を溶かし、いずれ軟組織(内臓や筋肉など)だけになる。しかし癌ではないそうだ。これ、正確に言うと、正式名称ではない。過去130年間で発症例が7件しかなく、故に正式名称が無く、更に勿論医学的な治療法も確立していない。ただ、途中で侵攻が止み、骨が再生しだすこともあったそうだ。故に彼は持ち前の元気さで、自分は治る!と皆の前で公言宣言している。
 この辺で分かった人がいるかもしれない。この本の題名は、前述どおり。つまり彼は、この発症例第8番目の人物であるということである。
 このあと彼はバイトしたり例の宿で知り合った仲間とバイクで旅をしたり通学したりと、彼らしい毎日を過ごした。そして宿に於ける思い出などを語る場としてHPを自作した。以後この掲示板が彼ひいては彼と出合った仲間達にとって重要な位置を占めるのは遠くないことであった。

元気ビーム

 しかしやはり病状は確実に進行していた、そんなときである。彼はまだ活力があった。それを再確認するために、フルマラソンに挑戦することにした。そこで純粋に自身と闘うことができたと表現し、完走を成し遂げている。勿論、完走できたのは不思議なくらいであると言う事実は言及しておく。
 その後バイトも行い大型バイクを購入、免許を取得していった。しかし症状が歯科医療だけでは対処不能になり各分野の医師の下、入退院を繰り返していった。その時の彼の顔の変貌振りは、流石の親もショックを隠しきれないほどになっていた。そんな中、遂に頭蓋骨が冒され、頭蓋骨を人口骨に取り替えるという大手術が行われた。それは最悪の場合、彼の両目を失明させ、左半身を麻痺させる可能性があったが、彼は「大丈夫なような気がする」と一蹴し、行われることになったのである。それは8時間で終わる予定であったが、なんと23時間にも及ぶ超大手術になったうえに、ハプニングにより目的たる取替えすらできずに終わったのである。そしてそれは、彼の咀嚼力、嗅覚、右耳の聴力、そして、右目眼球そのものを失わせている。本来こんな大手術をした後の患者の精神的負荷は尋常ではなく、医師は支援チームを作ろうと提案するが、彼自身がそれを拒むシーンがある。そのころ宿で出会った仲間達は、自主的に、彼のために何かできないかを模索していた。そしてそれは、皆の写真を張り合わせたものを送る、というものだった。それを『元気ビーム』と称した。それは大変彼を勇気付けたのは、言うまでもない。そんな入院している彼は、本来持ち込み不可なパソコンや携帯を密かに持ち込み、彼が自作した例のHPのメッセージを受け取ることに成功した。また、この頃には看護婦とも絆ができていた事象が載っている。

元気な重病人

 この手術後、彼は順調に回復していた。彼を見舞いに来た友人が、気を抜くくらいである。依然食欲も旺盛であったようだ。一時退院した時、親の調理したカツどんを、時間はかかれど平らげている。このような記述から、その回復振りは見て取れるが、これは尋常では無いことを、再三忠告する必要があるかもしれない。そんな彼の姿を見て、見舞いに来た人は、その度に彼から学ぶべきものを見つけ出していた。
 そんな時、突然中学時代の英語の先生で、リコーダーの名手が訪問してきた。そして久々にその音色を聞き、感動し、彼はリコーダーと向き合ってみることにした。しかし依然、頭蓋骨融解でできた空洞に溜まる膿を排除する、只管消耗的手術が重ねられて行った。そんな彼の姿勢を見て感動した友人の一人は、掲示板で皆に、彼に対してどんな内容でもいいのでメッセージを送って欲しい、と呼びかける。そしてこれは終始、言われることとなる。
 そしてそんな中、また新たな人物と彼は出会う。自身検査のために訪問していた、幼稚園時代の園長である。そこで彼は園長先生と昔を懐かしむと同時に、彼自身の病状や手術の経緯などを話している。印象的な発言を記す。彼は前述どうり、鼻の骨などとうに融解消失している。

「鼻の再建手術を近いうちにするから、たくさん食べて骨と肉をつくるんだ」
「他人の骨ではだめだから、どこの骨を取ろうか悩んでるんだ。背骨の骨を取ると水泳ができなくなるから、今考え中」

 うむ。何を言っているのかさっぱり分からないような、非現実的な話である。そんなことを笑って言ってのける彼の前向きさに驚愕するのは、無理も無い。
 また更に彼は新たな出会いをする。両親が完治を祈願してもらった和尚である。彼の話を聞いた和尚は、早速何度も彼の元へ足を運び、和尚らしく、仏の教えを彼に説いては、彼を安らがせたのである。
 このように、仲間達、家族、笛の先生、園長先生、和尚、医療関係者・・・彼はその時、「ありがとう」の感謝の気持ちを伝えるため『元気な重病人』でいることに決めたのであった。

勇気のうた

 依然彼の元気さは、見舞いに来る人々に奇跡を信じさせた。しかし実際彼は絶え間ない苦痛と闘っており、確実に体重も減っていた。そんな中、次なる手術に関する話が出てきた。これは、放置すれば左目失明する可能性は免れぬが、手術しても失明可能性がある、という、全く持って不条理な手術であった。しかし実際は既に失明状態であり、それを生々しく、実写真としてその時の彼の同意サインが掲載されている。それは既に文字では無かった。しかしそんな手術にさえ「(中略)どこまでもがんばりたいんです」といってしまう彼。彼はどんな一ミリの希望でも欲しかった。今まで耐えてきた苦しみを無駄にしないために、絶対頑張るとを誓っているのである。
 彼の失明を彼の母から教えてもらった仲間達は、彼のその尋常でない前向きな姿勢を目の当たりにし、彼の欲していた『時間』を、『元気ビーム』第2弾とするため画策した。しかし既に和尚が提供しており、結局彼の愛車ハーレーダビットソンの部品購入を行った。
 一足早く退院した園長先生が見舞いにやってきた。彼女は彼に、卒園式などの時に歌う『勇気のうた』を歌った。そして彼は酷く2番の、特に『嵐がなんだ、がんばれと』と言う歌詞に惹かれた。
 またこのとき、例の9.11テロが発生しており、彼はそれに関する悲しみを吐いており、彼の母は、彼自身がこんな苦しい状況でいるというのに、以外の状況に言及している、そんな彼を見て、密かに泣いた光景が述べられている。

永遠の相棒

 仲間達は、依然彼のために何ができるか、全力を持って模索していた。第一弾の『元気ビーム』は、写真だけではなく、音声テープも添えており、この発想で、彼の右目失明した時には、皆で点字を勉強しよう、そういうことになった。そして皆、視覚が無いことへの無念さを、皆で共有したのであった。そしてそれは彼自身にも伝えられ、彼も点字を読めるように要請があり、点字を勉強することになる。
 仲間達はより彼から勇気を貰い、励ます。彼は全てのものへの感謝をよりいっそう強めていった。
 ここで笛の先生が彼に言う。

「闇も、好きになってあげたら?闇にも感謝してあげよう」

この言葉を彼は重く受け止めたが、まさにその通りである。そしてこれを成し遂げた暁には、彼に恐れるものは、何もない。
 ここで一時的に実家のほうに退院し、仲間達も呼んで再会している。しかも彼ららしく、仲間の誕生会までドッキリで開いてしまっているw
 しかしまた入院。そんな彼の思考の先には、常に愛犬がいた。既に高齢で、かなり弱体化していおり、彼にとってこの犬は、小さい時、両親に頼み込んで自分で育てるといって納得させた、大変特別な存在である。思い入れも極めて強い。彼は犬のことが心配なのでどうしても退院して世話をしたい、そう願い出て、母は医師に相談した。そして医師はこう答えた。

「雄基くんの望むようにしてあげてください」

遂にこのときが来てしまった・・・母は覚悟した。
 このころの彼は既に歩けず、食い難いことからの衰弱と酷い頭痛がしていた。点滴による栄養補給は頑なに拒み、あくまで自力で食事をしようと諦めなかった。そして彼は母に3つの要求をしている。それは退院するに当たり、既に無く歯茎も陥没している口腔に入れ歯と、視力が回復した時の眼鏡と、低くなった鼻の再建だ。母も、母から要請された医師も、彼の意思だという点で、無駄と分かっていても、作らずにはおれなかった。
 それを済ませ、漸く念願どおり、愛犬の世話のために退院することができた彼。しかし頭痛は酷くなるばかりで、看護師が定期的に訪問するようになっていた、が、そこで看護師は驚くべき光景を目の当たりに知る。その頭痛はモルヒネを打たねば抑えられない程度のものであるというのに、市販の頭痛薬を使用していたのである。しかし彼はそれを終生使用することは無かった。それは、どんな苦痛にも自分の意思で言動したかった、彼の尋常ならぬ精神力の表れであった。
 そして彼が退院して以来弱体化が激しかった愛犬が、遂に息を引き取った。彼の精神の一部であったことは間違い、そんな存在が、今目の前で消滅した。これは、彼にとってどれほどのものか、想像に難くない。

旅立ち

 仲間達は、彼が今一生懸命になれているのは皆のおかげで、皆は彼からパワーを貰っているという事実を鑑み、依然、彼に対して何ができるか、只管模索していた。そして仲間達は考えた。希望は、生きる勇気にならないだろうか、と。そこで1ヶ月後に彼の『誕生日パーティークリスマスパーティー&雄基の目が見えるようになりましたパーティー」を開くことにしたのである。勿論特に3番目がなかなか素晴らしい提案だ。希望と祈り・・・

希望が実現することが大前提であり、逆に言えばそのための強い意志を持つことが、希望の実現につながる

・・・を込められたその会は、仲間達の必至の彼への元気付けの表れで、少なくとも某には大変感銘を受けた、まさに今までの彼らの思考の末の賜物と言うべき傑作のように思う。
 またここで彼は園長先生にお願いをする。散歩をする彼女なのだが、その時必ず彼の自宅前を通れ、と言うものだ。そしてこうも言う。自分の顔を覚えておいてくれ、と。その後彼は自分の顔右半分を覆うガーゼを取り、彼女に見せる・・・。恐らくその凄惨な顔面頭部は、彼女の頭に染み付いたに違いない。
 彼が退院してから彼の家は生活リズムが崩れる。彼の頭痛が治まったときが食事時であり、朝昼晩、時間など関係なかった。彼を中心に全ては回りだした。そしてどうも、仲間達の訪問時ですら会うことができなくなった彼のその急変具合は、仲間達の掲示板の書き込みからうかがい知れる。そんななか、ある一人の仲間はこう言う。そしてそれは、この書籍の核心的主張の一つでもあると思う。帯背表紙を丸々記載することになるが、

雄基はオレの耳元でこんなことを言った。「今生きていることでせいいっぱいなんだよ」って。それでも今できることをがんばっている。(中略)オレたちは、病気を治せない。だからそれは医者に任せよう。日常の生活の世話はご家族に任せるしかない。だけどオレたちにしかできないことがある。オレたちにしかできないこと、やろう。楽しい気分は心を強くする。


これが、オレたちにできる最大で最高のことでしょ!


十二月六日はなにして遊ぼうか?なあ、みんな。

来る六日のパーティーの計画を皆は練っていた。
 しかしこの発言をした仲間が彼に会いに行った、その翌日、彼の容態が急変、入院することになった。勿論、このとき彼は反対したようだ。しかしこの当日は病院にベッドを確保できず、その翌日入院となった。しかしそこは、いつもの9階ではなく、10階。大学病院レベルだと、一階違うだけで雰囲気や医療関係者が一気に変わるようで、大変だったようだ。それが、十二月一日である。
 彼の容態が急変してからは、まさに怒涛である。十二月二日は、連絡を受けた笛の先生が訪問して、そして彼に『「雄基くん、絶望したら・・・」』そう言いかけると、彼は、かすかに首を横に振った。その意味するところは、彼にしかわからない。
 その日の夕方、家族に起きた不吉な予兆を発端に、急変の連絡が入る。駆けつけたときには既に彼の意識は無かった。
 そして来る十二月三日、午前十時十二分、彼は息を引き取った。早速その報は掲示板へと書き込まれた。そして”生きよう。精一杯生きよう。絶対死ぬな”そう書き込まれている。

人生最大のイベント

 二〇〇一年十二月四日。通夜である。仲間の一人は彼の生前、ひまわりに囲まれて葬式をしたい、そう言っていたのを思い出し、通夜に、この冬の季節、漸く見つけたひまわりを持っていった。そしてそれを母は、彼が好きだったから喜ぶわ、と言って笑って快諾した。
 その後通夜は、彼の側で、仲間達が、悲しんだり、笑ったり、わいわい騒いで楽しんだりして、いつも彼に接するのと同じ雰囲気で振舞われた。それが皆の彼に対する通夜の過ごし方だったのである。
 そして十二月五日。最大のイベントの日である。昨日来れなかった人も来ているようだ。告別式である。そしてその後、ほぼ5ページに亘って、友人代表にして、彼の<兄>として率先して仲間達を指導した人物の弔辞が掲載されている。
 ここで面白いのは、とある仲間の一人である。彼は、只管この告別式の間中、カメラのシャッターを切り続けたと言う。なるほど。彼の人生最大のイベントを、真正面から撮り続けていた、と。
 その後火葬場に舞台を移す。彼の骨は逞しかった。しかし、闘病の痕跡として、様々な金具が残り、そして・・・顔の右半分は、骨がなかった。依然、例の友人は、シャッターを切り続けていた。

エピローグ

 仲間達は命日には彼の家に集った。そして回顧した。
 そして彼は実は死ぬ直前、皆に何かを知らせに来ていた事実がここで初めて披露される。それは例えば腹痛であったり、彼がバイクで走り去る夢であったり、嫌な予感であったり・・・
 そして最後は、いつも前向きであった雄基をひまわりに例え、皆雄基と一緒にいる、共に歩き続けている。そう詠った詩で、締めくくられている。

「ユウキ」〜感想

 さて。この記事を書きながら再読していたのだが、泣く。rz正確に言うと泣いてはいないが、涙ぐむ。これは確実。
 はじめに言っておくが、このような重病患者の終生を描いた感動ものなんか、特に珍しくはないだろう。某が見知って興味を持ち、手に取ったのがたまたまこれだった、それだけである。だから他の作品との比較はせず、絶対的感想を述べる。
 にしても、途中から抜粋的な概要が、網羅的になってきてしまったのは、思い出すため読み返してたらそのまま読んでしまったため詳しく書けてしまったからです。rz

雄基の非凡さ

 まあいくつも言及したい点はあるが、やはりまず第一は、内容とか以前に、彼、雄基の徹底したその前向きさである。これに尽きる。出過ぎた杭は打たれないどころか、芋づる式に他の杭をも引き抜いていく。本編、全ての彼がかかわる人物の彼への印象は、全く同じである。それは最後、「Himawari」に代表される。彼はひまわりなのだ。
 本編を読めば分かるが、とにかくいたるところにかれの前向きさを感嘆する文章ばかりである。いちいち挙げるときりがない。まず彼がワーキングホリデーに参加してしまったこと自体、彼の持ち前の前向きな思考を、強力な決断と実行力をもって成し遂げてしまったことから把握できる。少なくとも某に関しては、まずこのような決断は、無理だろう。どうしても不安・恐怖心と言うものが先行し、臆病にする。故に某も彼のような強力な決断力と実行力を持っていたら、どれだけ幸せだろうか。そもそも彼にとっての決断と実行力と言うのは、意味が無い。一般人と比較した時初めてそのような単語は生じえるが、そもそも彼からすればそれらは、思考した時点で既に実現れているものであり、その手段として決断と実行力は既に思考の中に内包されていおり、彼が意識してそれらを行使することは、ないはずだ。そして彼はそのような人物であると、その時点で我々は理解しなければいけない。彼自身から言わせれば、その前向きな考え方と言うのは、自認されもしない極当たり前のことであり、普通のことであり、それ以上でもなければそれ以下でもない。
 またその旅で様々な人と話し、会う人会う人を片っ端から友人にしていったその社交性、吸引力は、最初は確かに彼のほうが友人に慕っていたに違いない。しかしそれはいつの日にか逆転し、彼の魅力に皆が引かれた結果、友人と言うにはあまりに親密すぎる関係を、形成することができたのだろう。
 また彼の前向きな姿勢は、闘病生活に於いて特に顕著だった。数ある中で、覚えているもので具体例を挙げると、例えば、絶対自分の意思で行動し、家族と語り合いたい、そんな意思のために、モルヒネを打たねば耐えれぬ激頭痛を、市販の鎮痛剤だけでカバーしていた件である。これを見るだけでその彼の意志の強さ、と言うより意思=実現であることがわかる。またたびたび周囲へ配慮する記述がある。このような彼の意思は、彼の外を出て、周囲の人々にまで影響を与えている。

雄基のカリスマ性と仲間達

 ここははっきり言っておくと、明らかに雄基は非凡だ。カリスマである。前述どおりのカリスマたる彼に皆が賛同するのは、無理も無い。だからカリスマなのだから。しかしそのカリスマ性は、確かに先天的に持ち合わせていたものであっただろう。しかし文中に幾度も書かれているが、彼自身、こんなに元気なのは、前向きになれるのは、皆のお陰だと。カリスマは賛同者あってのカリスマである。彼が常にそのカリスマ性を保てたのも、紛れもなく、彼と関係した全ての人達のお陰である。愛犬を含む家族、旅で出会った仲間達、昔お世話になった先生達や、和尚に、医療関係者。たった一人のカリスマのために、これだけの人が動いているのである。それを考えただけで、確かに雄基のカリスマ性は、寧ろ維持を余儀なくされていたに違いない。皆の努力を無駄にできるわけが無い。そしてありえるはずが無いカリスマ性の維持は、皆をカリスマの力に浸らせ、パワーを貰う・・・この無限ループは、それにかかわる全ての人の立場を超え、あたかも一つの運命共同体であるかのよう振舞う。特に最期、世界が彼を中心に回りだした頃、皆の行動は、ただ一つの法則によって支配されていたに違いない。

幸福と不幸の表裏一体性

 彼は本当に恵まれた環境で、幸せだった。そもそも後悔をしない、否、できない生き方をしており、後悔することはないのだが、末期になるに連れて普通のことができなくなり、故に全てが不自由となり、そうでなくても常人にも大変負荷がかかって大変だというのに、彼がどれほど苦痛に耐え忍ばざる終えなかったか、想像を絶する。彼のカリスマ性に惹かれ、わが身のように全力をもって応援してくれる仲間達などは、本当に彼の生きる気力となった。ただ、依然これも彼の精神がまだ不滅であったからこそである。
 しかしこれは相対的に言えば、仲間達も、彼と出会えて、本当に幸せだったということだ。寧ろ仲間達のほうがよっぽど幸せだったはずだ。それは、彼の闘病からそれ以降、死んだあとにもそのことが記述されている。何故か・・・それは、彼は常に極限を生き、毎日仲間達から応援を受け、うむ。極限の幸福を感じていたはずだからである。否、感じて、などと言う生半可な表現は不適で、もう既に感じる余裕すらない、そんな状況性からどう考えても、絶対的に幸せなのは彼だ。しかし先も述べたように、この幸せは、あまりに極限なのである。その点で仲間達は幸せなのだ。相対的に幸せなのだ。彼は常に極限に立たされ、毎日それに立ち向かっていった。仲間達は、そんな状況を経験したことがあるだろうか、否絶対無い。少なくとも、この物語に関係する彼以外の人物は、無い。だから、そこには彼に対する無用な同情が働き、尚いっそう彼に対する闘病への前向きさを、自身と比較し、無能さを自覚し、彼を尊敬、それと同時に彼に、諦めず耐え抜いて、生きることの重要さなど、様々なことを学び、それらから仲間達の得た最終結論が、まさに「Himawari」に集約され、つまり、常に光のほうに向いているひまわりのように、そして、雄基のように、生きる、となっている。仲間達は、彼に会うたび常にパワーを貰うと表現する。勿論パワーを貰っているのは、彼だ。だから、仲間達が受け取っているものは、彼との比較の差である、自分達の無能さである。そして、そんな自分へ喝を入れ、彼と言う存在を思い出し、自身も前向きに生きることを誓わせる、その自身への自問自答そのものである。彼は、仲間達に、本当の幸せとは何か、それを模索する術を教えてくれたんだろう。あくまで、術、である。直接的な解答は、それこそ各自模索すべき最終結論として見出さなければならない。何せ、幸せの形は人の数だけあるから。

世界で8番目のたたかいに勝った男

 ここで題名に戻る。『ユウキ −世界で8番目のたたかいに勝った男−』である。最後、勿論病死する。これに関しては肉体的に、明らかな負けである。しかし『勝った』と表現しているとことが、大変感慨深い。では何故勝ったと表記しているのか・・・。それは勿論、精神的側面に於ける勝利である。彼がいつ闘病を断念した時があっただろうか?否無い。しかしながら本文にもあるように、流石に彼も人間であった。不安を覚えることもある、そんな時、仲間達の存在が物凄く勇気になる、そんな記述があるからだ。うむ。普段絶対に弱気を見せない彼だ。こんな記述を見ると、彼に少しでも弱みがあることが分かって、安心するw
 余談だが、彼の死直前、園長先生の発言で首を横に振るシーンがある。これの真意が大変気になる。総合的に鑑みても、やはりこれは、「もういいよ先生。オレはもうダメだ。本当に今までありがとう。ありガトウ・・・」。これが一番自然な流れだろう。彼自身、自分の死期を流石に分かっていたのだろう。首を横に振ることは、今の彼にとって、最大の感謝を表せる行為だったのだろう。
 閑話休題、さて。彼の死後の彼は仲間達の”中”で生きることになる。彼は生前の彼と全く変わらず常に前向きであった。それが例え世界で8番目の病気だったとしても、そこに可能性がある限り、彼は前を歩き続けた・・・彼は、勝ったのだ。

命のメッセージ

 一応この物語の著者が一番おさえておいて欲しいのは、『若者たちの命のメッセージが込められたノンフィクション』である。本文を読むと、それは十分伝わってくる。それは、どんなときも常に前向きでいること。彼は、その生き様自身が常に前向きであり、故にカリスマであったし、彼を応援する仲間達も、彼を全ての思考原点とし、協力して、彼の可能性に可能性を徹底的に信じて応援していたのだ。それらはまさに『いっぱい薬を飲むよりも、いっぱい笑ったほうがいい』に代弁される。
 思うに、この『命のメッセージ』は、勿論当事者間にも適用されえるだろう。そしてそれは彼の死後こそ有意義になるものなのだろう。彼は、闘病生活に於いて極限的にまで自問自答していたはずだ。だから毎日毎日がとてつもなく重厚で深遠だったはずだ。故に、その瞬間起こったことは、永遠とも取れる事象だったんだろう。それに対して仲間達はと言うと、その間常に彼のために何ができるか、そればかりに思考と行動を奪われ、うむ。自身について自問自答する余裕は、一切無かったはずだ。しかし彼が逝った時、そこで漸く世界の中心が自分に戻る。これで今までかかわってきた彼との出来事を客観的に考えることができる。それも一生の間。
 また彼らの間には一切の利害関係はない。全てが無償である。彼らが彼に対してあそこまで尽力できたのは、双方の信じる気持ちであった。そこに彼のカリスマ性が補強剤となって、絶対無敵で唯一無二の信頼関係が生まれた。それは、友人とか親とか、それとはまた別の新たな絆であった。信じることもまた教えてくれた。


 うむ、支離滅裂な上に言い足りないと来た。ぶっちゃけ書き疲れた。強制終了して次いこ。rz

岸川悦子

 岸川悦子。彼女は、勿論例の亀ドラでまずドラマを知り、その原作があるぞ!それで知ったわけだ。どうも彼女の著書の中に、「金色のクジラ」と言うものがあるようだ。
 金色のクジラ・・・これ、実は某が幼少の時に買ってもらった、某が意思を持って選んで、買ってもらった本であると記憶している。と言っても、当時の年齢は、保育園が小学低学年だった、と思う。あまりに幼少過ぎて、いつか不明である。しかしその頃に、これがいい、そう決めて買ってもらった本だと思う。内容に関しては、うむ。大変傑作だったのは大変覚えている。当時から早速この作品を読んで泣いた記憶がある。まあ作者は違うが、「ゴンぎつね」ですらあの終焉に泣いてしまった某なので、その当時からやはり涙もろかったのかもしれない(涙もろいのが年齢のためでないと分かったので大変今喜んでますwww)。
 とまあそういうこともあって、金色のクジラ書いてる人なら確かに感動するわ!と納得してしまった。
 彼女といえば、まだ2冊しか読破してはいないが、金色といいユウキといい、児童向けである。大変読み易く、且つ理解し易い。そして内容は、命の尊さなど、大変感動に直結したテーマを扱っている、そう印象があるし、恐らくそうなんだろう。
 まず最初の、児童向けに関してだが、これは大変素晴らしいですね。この馬鹿で短気な某にとって、考えずにすぐ読める作品は、まさに某のための本(お前は何歳だ。rz)。


 因みに念のため言っておくが二作とも、ノンフィクションである。

総論

 傑作。はじめは、ドラマの亀とかぶらせて勝手に興奮してたが、話が進むに連れて、普通にはまって読んでた。



『ユウキ―世界で8番目のたたかいに勝った男の物語』 岸川 悦子 (著)  ポプラ社