集団の中の個と自己同一性の確立(中身が無いくせにかっこいいゾ!2)

・最近回顧録記録管理が杜撰になってきた。
 実は、昨日今日と、連日、ここへ来て初となるバイトをしていた。バイトは、ミニ社会であり、世間一般がいうような利点がある。生涯でバイトはこれで3回目である。確かにいずれも、対人能力皆無で、精神的疲労は必至であった。が、いずれも、絶大に、いや、微小かもしれない。しかし確実に某の社会力を向上させている。実感している。社会の法則、基本等など。そして自分の弱点をも分析することも出来た。これは、他者と自己の考え等を比較することにより、自己を認識し、他者を認識し、より一層高次の、且つ正確な「私」を把握・確立していくように感じる。(これって、自己同一性、みたいな?)
 余談だが、これらの経験と、しゃべり場を見て、某は、ここへ、来た。場所は、どこでも、よかった。(といっても過言ではない)
 で、某は、今回行ってよかったと思う。確かに時給は低い。しかし環境はよかった。とかいう物理的満足ではない。少人数だったのだが、それがより、よい環境にしてくれた。某は基本的に単独行動を好む。他人からの拘束を一切受けず、自由だからである。しかし、それ故、単独行動の限界も、否応でも知っている。それに対し、集団に属すと、確かに自我は抑制する必要が出てくる。しかし、それだけ情報も無差別的に、且つ大量に流入し共有も出来る。また、相互補完もできる。そしてやはりそのマイクロ社会内で、「自分とは何か」を無意識に認識することである。で、今回、否、毎回思った。が、今回は特に感じた。そして出逢った人々に、本当に感謝したい。ただここで忠告しておくが、あくまでバイト等対人関係というものは、一般的であり、某があまりにもそのような経験が皆無なことと、先天的にそういう性格であることが重なり、些細なことでも感動してしまうのだ。
 また余談だが、以前に、「一匹狼は、単独行動を好んでいる者ではない。そもそも狼は集団生活を営む動物である。だからそれは、集団から仲間はずれにされた存在なのだ」(のような感じ)ということを聴いた。趣旨は、某に、友を作れ、ということ。しかし某は、また違う意味で、これを大変重く受け止めている・・・。
 で、前日から問題はあったが、まあ無事2日が終了した。にしても、バイトをすると、かなり時間的に拘束されることを実感した。まあしょうがない。これを常時している人たちは凄い。尊敬である。明日はまた学校。休日が無いというのは、地獄である。社会勤労=地獄。
 ああそうそう。言い訳ね。昨日は、帰宅が遅く、且つ精神的に疲労してをり、即寝してしまった。昨日は全く何もしていない。いや、出来なかった。まあ、そんな状態の毎日を陛下らは、していらっしゃるのかと思うと、沈黙してしまう。
 (にしても電子化すると、切り取り、挿入、訂正が楽でいいなあ)