時かけの「世界観が狭い」の解釈について

 うむ、どうも説明不足による語弊があったようですので、依然蛇足かもしれませんが、この場を借りて一応説明させてもらいます。
 某の記事に対する陛下が推測した「世界観が狭い」の解釈が、180度違います。電脳コイるの曖昧設定を即是とした某なので、陛下の指摘するSF的環境設定に関しては勿論甘々に黙認しております。では何を持って発言したのか・・・うむ。

 (1)キャラがほぼ主人公少数キャラだけで展開されていて、また、
 (2)作品影響範囲も主人公の住む街の中だけであり、更に
 (3)主観がヒロインただ一人だけだった

 ので、閉鎖的で新鮮さ、躍動感が無かった、と言う意味で使用させてもらいました。
 では逆に「世界観が広い」とはどういうことかと言うと、例えば、

 (1)登場人物全てが主人公的な勢いの重要性を持たせるとか、友達の従兄弟の親戚が出てくるとか、
 (2)自居の街や学校という場所以外の、他の街が出てきたり、各種交通機関を利用するとか、国家更には外国・宇宙外にまで視点が広がっているとか、
 (3)親や先生、その他登場人物及び組織等の第3者による主人公を中心とした本編及びそれと並行していたであろう事象の客観的視点・思想の提示

 などである。その上で、某の思う「世界観の広い」作品を具体的に述べると、某の知る最も広い世界観を持つ作品は、『F.S.S.』この一作品のみである。
 ただ、その作品がそこまで世界観を必要としているかどうかは、別問題だ。本作「時かけ」では、極局所的で瞬間的な一生徒の日常、否、非日常を描いているだけであり、極端な話、

 (1)ウルトラの星で生まれた子供が実はヒロインに密接にかかわっていたとか、
 (2)MIBがついに時空移動装置を開発したとか、
 (3)異次元防衛軍は自軍以外の時空移動を危険視しており、本作の流れも把握していた

 などということは、まずありえない。がである。明らかに本作の本流とは関係ないだろと言うかもしれないが、しかし互いに独立した日常がリンクしていたとしたら、より普遍的日常へ昇華し、これは世界観が広がった、と某は思う。誰の目から見ても納得し、共感できる”より普遍”的なものになると思う。
 ただ、ここまで来ると網羅といわずして何と言うか。だから大抵の作品は、その事象が起きている主人公なり影響範囲だけを抜粋し、見せる。寧ろそれが普通の作品である。だから基本的に前述のような世界観の基準を設けている某の目からは「世界観が狭い」と思えてしまう。
 だから陛下の言うように、本作でそこまで世界観を批評するのは、酷だったな。rzそれどころか、本質をあやふやにしてしまう可能性もあるか。さらに本作に於いてはそれ以前に不要だということもあるが。

結論

 蛇足だったな明らかに。rz