自分とそれ以外

 某先輩の記事を見て思った。

 某は他者の崇高な決断に介入するすべを知らないので何とも言えないが、やはりその人の経験が価値観を変える重要な要素の一部であると思うので、結局、その人がどんな経験をして来たかによる、つまり人それぞれということになり、価値観も様々であると思うので、一概に他者を否定できない。
 しかしながらこの考え方は、つまり”普通”若しくは”常識”が氾濫することになる。その人の”普通”とあの人の”普通”が通じない、通用しない、そんなことが発生する。まあここでいう”普通”と言う言葉は、言い換えるなら寧ろ価値観と言えば説明がつくか。価値観が違うのは必然。世界の多数決によって偏った思考の平均化したものを”普通”若しくは”常識”という、と某は思うのだが、多数決によっているからつまりその”普通”が多くの人の価値観と大体同方向の有向線分を持っているのは必然。


 まあね、結局人それぞれ、三者三様、十人十色、百人百様、千差万別。自分は自分で他人は他人。
 この結論に何を論じても結論付けてしまう某もかなり偏った価値観持ってるな。rz