邂逅

出会う前を<偶然>と言い、出会った後を<必然>と言う。そしてその蓄積を<運命>と言う・・・


確かに<運命>とは、なるべくして起こるような<必然>的意味に捉えられることが多いと思う。がしかしそのすべての発端は、<偶然>による。っていうか、<運命>なんてものは、<偶然>次第でどうとでもなる。今が嫌なら、既存の<運命>を打破してやればいい。そのためには<偶然>を創ってやればいい。しかしそう簡単にはそれはつくれない。自明である。ではどうすればいいか・・・うむ。それは簡単である。確かにそれは創ろうとして創れるものではない。が、機会を増やすことはできる。つまり、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」ということ。

大体、創ろうと思って創れたら、どんなに人生薔薇色なんだろうか!


ここにAと言う人物がいるとしよう。もう一人、Bと言う人物がいるとしよう。Aは、典型的な非常に引篭もりがちで、まったくと言っていいほど外出もしない。自己主張もほどほど。それに対してBは、やはり典型的ないつも友達と遊びに行くような非常に活発な性格だとする。また、いつも自分のしたいことを惜しみなくしている。

うむ。双方極端ではあるが、比較して、貴方はどっちが”いい”と感じるだろうか。多分、後者だと思う。寡人は絶対後者だ。確かに、前者でもその人生に満足しているのならば、う〜む、それはそれでいいとしか言いようが無いが、しかしながらそれでは全く以って<偶然>が発生しない。これは大問題である。それは上記理由による。


但し上記はすべて個人的意見であるので、あしからず。この件で言うと、まあ少し本題からずれるがこの際に言っておこう。


うむ。今まで生きていて、片親しかいない人物を、同級で見たことがある。

貴方はそのような人物に対して、その件に関してあまり触れないようにするだろう。それは、「かわいそう」とかいう同情からくるものだと思う。寡人も初期、そう思って禁忌事項に指定していた。

或時、その事情を知らない彼または彼女の友達が、それを話題にしたことがあった。寡人は一瞬、固まった!


”それは禁句だろ!”


と。だからそれを補償するように寡人が救済発言したところ、以外にも言われた当の人物は、かなり平気な顔をしている。それどころか、「全然気にしてない」と言いい、寧ろ寡人のその”禁句だろ!”つまり、その「かわいそう」と言う感情丸出しの救済発言の方が、嫌だ、と言う返答がきた。


寡人はそのとき初めて彼または彼女の気持ちを悟ったような気がした。確かに言われればそうだ。だって彼または彼女、つまり、”先天的片親”的人たちは、小さい時からもう片親でずっと今まで生きていたのだ。それが”あたりまえ”の人生だったわけだ。

それに対して寡人は、両親に育てられ、無意識にそのありがたみ、愛情を受け取っており、故に今どちらか一方でも親が亡くなったら、かなりショックを受けるだろう。そんな感情を、ただ”片親だけだから”という状況だけで”同じ”だと決め付け、同情してしまう・・・これは、両親が在る人ならではの感情・・・否、そういう人でないと理解できない感情だろう。その点、やはり自分がある程度成長してからの片親不在たる”後天的片親”の人たちは、相当なショックを受けるのだろう。


とまあ悟ったようなことを書いたが、あくまで想像の域を絶対に出ない。それは、


寡人が”本人”でない


以上、当然だが。でまあこの件を機に、本当に人間の心理と言うのは、難しいと感じた。では本題に戻ろう。


つまり、確かにAもそれで満足しているかも知れず、そうなるとその生き方をたかが他人である寡人のような奴がああだこうだ言うことは、できない。がしかしだ。そんな結論で結んでしまっては、個人的に面白くない。だからここは私見を言うと、それはあくまで「知らぬが仏」、「井の中の蛙」として、全く以って視野視点世界が狭く、かなり保守的且つ消極的と言わざるを得ない。そこで安住していては、なんら進展が無い。しかし一旦外の世界を知った瞬間、「住めば都」となる。今までの自分が一体どんなに矮小且つ狭い世界の住人であったのかを思い知らされる。まあ確かに、外に出たからと言って、今までの保守的且つ消極的人生よりも良くなると言う保証はない。しかしながら、より良くなる可能性も、あるのだ。特に寡人の場合は、本当に引篭もりがちで、かなり保守的且つ消極的で、したいが面倒くさい、で全てを一蹴してしまう癖があり、これでは駄目だと思い、今は可及的積極的に<偶然>を見つけようとしている状態である。ただ、やはりどうしても根っから引篭もりがちであり、少しでも油断すると、旧態依然の生活に逆戻りしてしまう。この点に於いては、「自分を変えるんだ!」という強い意志がないと、はっきり言って、続かないと思う。本当に。<運命>を変える、つまり<偶然>を獲得するには、不断の努力が必要となる。

で、後者Bは、特に何も言うことのないくらい理想的な性格である。はっきり言って大体の寡人の理想的な性格である。そして、前者と比較して段違いに<偶然>獲得率が高いのは、明らかだろう。


とまあ、長々と述べてきたわけだが、要はこうだ。寡人の座右の銘である戒めの言葉もつけて言うと、


妥協すんな!!!能動的に生きろ!!!偶然を創れ!!!そして、自分の運命を切り拓け!!!

(或先輩の記事を読んで感じたこと)